ピアノは映す 曲目解説
 (三輪 壮一)

 本日は、皆様にピアノによる「描写音楽」をお届けします。
「描写音楽」とは、音楽を通じて人々の生活や美しい自然などを表現したもの。古来より作曲家達は、技巧を凝らして音楽による描写表現を試みてきました。
例えばバロック時代のヴィヴァルディの「四季」。小鳥の歌、猟犬の吠え声、雷鳴や収穫の喜び等が弦楽器だけで巧みに表現されています。それから古典派時代ではベートーヴェンの「田園交響曲」。第2楽章では小川のせせらぎや鳥の囀りが、第4楽章では突風や落雷が描写されています。
 ロマン派の時代になると「描写音楽」はさらに開花していきます。作曲家自身の恋愛感情を誇張して表現したベルリオーズの「幻想交響曲」。洞窟の不気味なこだまに霊感を得て作曲されたメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」。そしてリヒャルト?シュトラウスに至っては、「音楽は何だって表現できる、たとえばティースプーンでさえも。」と豪語したといいます。
 さて、本日の主役であるピアノは「楽器の王様」とも言われます。ピアノは幅広い音程を持ち、音の強弱を付けることができ、さらに 山の音を同時に鳴らすことが出来ます。また、タッチの変化によって微妙に音色を変えることも可能です。この様な特性により、ピアノは実に多種多様な表現が可能な楽器なのです。そのため多くの作曲家が、「描写音楽」の手段としてピアノを選びました。
 本日は、19世紀から20世紀にかけての日欧の作曲家の「描写音楽」を披露いたします。それぞれの作曲家の描写表現の違いを、是非お楽しみください。


1. ヴィルヘルム・ペッテション・ベリエル(1867-1942
 
「フレースエーの花々 1巻」作品16  (1896)

  ベリエルはスウェーデンのロマン派作曲家・音楽評論家。ピアノ曲集「フレースエーの     花々」が彼の代表作であり、5つの交響曲などの他の作品は母国でもあまり演奏されないようだ。また評論家としては、容赦のない毒舌で同時代の作曲家達(特にシベリウス)を攻撃して恐れられたという。

 
「フレースエーの花々 1巻」は8曲からなるピアノ曲集で、表情豊かで親しみやすいメロディーに溢れている。北欧ではピアノ学習者が必ずレパートリーに入れる人気曲とのこと。フレースエーはスウェーデンの山岳地帯にある湖に浮かぶ島で、作曲家自身そこに別荘を構え、島の自然の素晴らしさを堪能していたのである。

@ 再訪:夏のフレースエー島を再訪した作曲家の、幸福感に溢れた喜びを伝える
A 夏の歌:花々が咲き誇る野原を心弾ませながら散策する様子を伝える
B ローン・テニス:得意のスポーツに興じる作曲家の姿を伝える
C バラに寄す:ショパンやシューマンを思い起こさせる、詩情に満ちた優美な曲
D お祝い:気品ある華やかなガヴォット(舞曲)
E フレースエーの教会で:厳かな聖堂のたたずまいを、深い内省を秘めて描い  たベリエルの傑作
F 夕暮れに:夕闇が迫り家路を急ぐ姿を短調で伝える
G あいさつ:明るい曲想の中に悲しみを滲ませながら別れを告げる


2. 武満 1930-1996
「雨の樹 素描 I, II

武満徹は日本が世界に誇る作曲家であるが、音楽はほぼ独学で学んだという。彼は先ず現代音楽から始め、後に古い西洋音楽を遡って知るようになっていった。武満はドビュッシーやメシアンといった作曲家に多大な影響を受けており、「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特の響きの背景になっているのである。

武満は「水」にまつわる言葉を題材にした作品を多く残している。彼によれば、形を持たない水が雨や海の様に形を持つものになるように、形の無い音が作曲家によって形のある音楽になるのである。

彼の作品は、管弦楽・室内楽・独奏曲から電子音楽・映画音楽・舞台音楽・ポップソングまで多岐にわたっている。また名エッセイストとしても知られている。

@ 雨の樹 素描 I (1982)
 大江健三郎の小説「頭のいい『雨の木』」からインスピレーションを受けて作曲 された。   どこかガラス細工を思わせる、硬質でミステリアスな雰囲気の曲で  ある

A 雨の樹 素描II「オリヴィエ・メシアンの追憶に (1992)
 1992
年のオルレアン国際音楽祭(フランス)で行われた「メシアン追悼演奏」  のために作曲された。この作品は武満の最後のピアノ独奏曲となる。


3. オリヴィエ・メシアン (1908-1992
「火の島 I, II」(1950

メシアンは、現代音楽を牽引した作曲家の一人として多くの功績を残している。また、教育者・神学者・鳥類学者としても知られている(鳥の声を主役とした作品も多い)
 
親日家のメシアンは日本各地を訪問しており、先の武満をはじめ、日本の作曲家に多大な影響を与えている。

「火の島 I, II」は、「4つのリズムのエチュード/Quatre etudes de rythme》(1949-1950)」の中に含まれており、メシアンのリズム探究の成果が形となった、強烈なエネルギーを発するリズム練習曲である。この2曲はパプアニューギニア島民に捧げられており、打楽器的要素の大きい暴力的ともいえる激しく野性的な音楽で、楽器との格闘をも感じさせる作品となっている。

@ 火の島 I (1950)
 パプアニューギニア風の主題に、様々なリズムの伴奏が伴う。原始的な雄叫びを 思わせる響きが続く中、2箇所で鳥の歌が高音域で聴かれる.

A 火の島 II (1950)
 パプアニューギニアの歌の合間に、火山の噴火、マグマの動き、原始の爆発的   なエネルギーなどが多岐にわたって表現される。メシアンは、この曲で初めて  「シンメトリックな置換手法」(「音の算術的な組合せ」とすればよいか) を用  いている。

4. チャイコフスキー (1840-1893)
「四季」作品37bより(1875~1876


  チャイコフスキーは、バレエ音楽「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」、交響曲「悲愴」、ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲など、哀愁を帯びた美しいメロディーの傑作を数多く残したロシアの作曲家。法務省で働きながらサンクトペテルブルグ音楽院で音楽を学び、その後モスクワ音楽院の講師を勤めるという経歴を持つ。
 チャイコフスキーの経済的パトロンであったフォン・メック夫人とは、数多くの手紙のやり取りをしているが、生涯一度も会わなかったという。彼は、交響曲「悲愴」の初演直後に急死しているが、その死因は未だ謎に包まれている。
 

「四季」は「12の性格的小品」という副題が付いたピアノ曲集で、ロシアの12か月の民衆の生活を描写した12の曲から成る。各曲ともロシアの詩人が各月の風物を題材にして書いた詩を参考にしている。なお、当時のロシアでは旧暦が使われていた為、ここで描かれる季節感は新暦とは約1ヶ月のズレが有るようだ (この曲の1月は新暦の2月に当たる)


@    1 炉端にて:アレクサンドル・プーシキンの詩による。炉端で暖を取りな  がら思いを巡らせている。火は消え入りそうだ。

A    2 謝肉祭:ピョートル・ヴャゼムスキーの詩による。大勢の人々が集まっ  てくる。お祭り騒ぎの始まりだ。

B    6 舟歌 アレクセイ・ブレシチェーエフの詩による。揺れる小舟から見  上げた星空の美しさを哀愁を込めて歌う。チャイコフスキーのピアノ曲の中  で最も親しまれている曲。

C    8 収穫の歌:コリツォフの詩による。農作物の収穫で忙しい農民の姿を描く。

D    9 狩の歌:アレクサンドル・プーシキンの詩による。ホルンが鳴り響く中  狩人達と猟犬は狩りに出発する。

E    11 トロイカ:ニコライ・ネクラーソフの詩による。雪原をトロイカ(馬  3頭立てのそり)が颯爽と駆け抜ける。この「トロイカ」も非常に人気の高  い曲である。


5. フランツ・リスト (1811-1886)
「巡礼の年第1年 スイス」より「泉のほとりで」
「巡礼の年第3年」より「エステ荘の噴水」

 リストは超絶技巧のピアノ演奏と華やかな女性遍歴で一世を風靡したピアニスト、作曲家。一人で演奏会を行うリサイタル形式を初めて採用、また、「交響詩」というジャンルを創始した。
 その一方で、教育者として多くの優れたピアニストを輩出すると共に、晩年は宗教家・思想家として専ら宗教音楽の作曲に専念した側面も持つ。

@「泉のほとりで」(1835-36
 「巡礼の年第1年 スイス」の中の一曲。「巡礼の年」は、20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもので、若年の技巧的・ロマン主義的な作品か ら、晩年の宗教的、あるいは印象主義を予言するような作品まで様々な傾向の 作品が収められている。
「泉のほとりで」は、こんこんと湧き出る泉の様子を瑞々しく描いた曲。特に水のきらめきが高音で鮮やかに描かれていて清々しい。
楽譜には、シラーの詩「さざめく冷気のうちに若き自然の戯れが始まる」が記されている。

A「エステ荘の噴水」(1877)
 「巡礼の年第3年」の中の一曲。フランス印象派の先駆けとなる大胆な和声を用いて水の動きを巧みに描いた作品で、リストの代表作の1つに数えられる。ラヴェルの「水の戯れ」やドビュッシーの「水の反映」はこの曲に触発されて作曲されたという。
 また、リストはこの曲の脚注に「ヨハネ伝第414節」と記している。この聖書の一節は、「キリストの水は永遠に渇くことがない。その人の中で泉となって永遠の命に至る水が湧き出る」という内容である。

6. フレデリック・ショパン (1810-1849)
「舟歌」作品60

  珠玉のピアノ曲を数多く生み出した「ピアノの詩人」。ポーランド生まれながら主にパリで活動。ジョルジュ・サンドとの恋愛と破局の末、肺結核で39歳の短い生涯を閉じた。
 20
歳でポーランドを去って以来一度も祖国の土を踏むことは無かったが、祖国への強い思いは断ち難く、マズルカ、ポロネーズといったポーランドに根ざした曲を生涯書き続けた。祖国への想いは死後実現され、彼の心臓はワルシャワの聖十字架教会に眠っている。


「舟歌」作品60 1846

 幸福な気分に満ちた実に美しい曲で、ショパンの最高傑作の1つに数えられる。さざ波を表わす伴奏の上で、甘美でとろけるような旋律が歌われる。それは、愛し合う2人を乗せたゴンドラが波にたゆたうかのようだ。
 この「舟歌」は、ショパンとサンドが破局を迎えつつある時期に作られたが、この曲の幸福感に満ちた曲想は、そのような2人の関係を微塵も感じさせない。むしろ、サンドとの愛の賛歌を高らかに歌い上げているかのようである。

                                           以上

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